八幡山の洋館が移築・復原されるまで
以下の内容は、管理人びぃの別サイト<めぽっく21>
(いまは更新しておりません)からの抜粋です
八幡山公園西口
↓戦災復興事業完成記念碑 2009年4月撮影
↑平和の慰霊塔
八幡山の洋館 沿革
年月日 | 当時の用途・呼称 | 創建から |
1905(明治38)年6月 |
日本火薬製造株式会社(日本海軍と英国3社の合弁会社)設立 |
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9月 |
製造所の建設工事開始 |
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英国人支配人執務室として創建されたものと言われている |
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1906(M39)年か07年 |
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落成と考えられる |
07(M40)年 |
日本爆発物製造株式会社と改称 | |
11(M44)年 |
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火災で焼失 |
12(M45)年 |
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再建 |
1919(大正8)年 4月 |
高等官クラブ 平塚集会所 |
日本火薬製造株式会社設立時の契約に 基き、日本海軍が全て買収、海軍火薬廠 を開設(水交社とは、日本海軍の少尉候補 生以上の武官と高等官をもって組織された 親睦団体) |
1923(T12)年 |
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関東大震災による復旧工事 |
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その後も改修工事がたびたび |
1945(昭和20)年 8月 |
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終戦とともに海軍火薬廠廃廠、進駐軍が 接収 |
1950(S25)年
8月 |
応接室および
会議室 |
横浜ゴム株式会社が、跡地の一部 (25,800㎡)と建物の払い下げを受ける |
1955(S30)年 |
相当程度の修改築 |
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2004(平成16)年 |
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創立100年を経過し、老朽化 |
7月23日 |
旧横浜ゴム 平塚製造所
記念館 |
歴史的建造物として
国の登録有形文化財(産業第2次)に登録 |
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保存・活用のため、旧所在地(平塚市追分2番1号)から八幡山 公園(平塚市浅間町1番1号)内に移築し、復元工事を行う |
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2009(H21)年 4月1日 |
旧横浜ゴム 平塚製造所 記念館
(八幡山の洋館) |
公民館に準ずる公共施設として開館 |
※2009年当時の館長土井浩氏に旧横浜ゴム平塚製造所記念館解説マニュアル、および
館内案内パンフレットを提供していただき作成しました
市の施設である旧横浜ゴム平塚製造所記念館の管理運営は 民間メンテナンス会社と市民団体が共同で代行しています |
平塚市ビルメンテナンス業協同組合が指定管理者として管理運営を代行、
ソフト面をこの建物を保存・復元利用するのに尽力してきた市民団体、水交社の保存と利用をすすめる会が担っています(ひらつか市民活動センターHP 市民活動団体情報ファイルへ)
☟ひろばの会(旧称;平塚母親の会)月報 『ひろば』
第347号 2009年3月24日発行より
ひろばの会(旧称;平塚母親の会)
月報 『ひろば』第347号 2009年3月24日発行より
ご存知ですか?
八幡山公園は
戦争を忘れず、平和を祈念するための平塚市のメモリアルパークです
園内には、戦没者慰霊碑、平塚空襲殉難者慰霊碑、
平和の慰霊塔、戦災復興事業完成記念碑 が建立されています
明治以来の戦没者慰霊碑
1967年建立 平塚戦災復興事業完成記念碑
洋館の建築様式や特色につきましては、
別サイト<めぽっく21> でご覧ください
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後半の洋館発行案内パンフレットは新しくなっています
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